ヌーメンとは

ヌーメンとは突き詰めれば自分の中の絶対的な他者、なのかもな。心からどれだけ不確定要素を取り除いても制御出来ない要素というか。

逆に言えば、ヌーメンが無ければ人間とは情報の入出力処理装置とコミュニケーションロジックで構成された機械の様なものになってしまうのかもしれない。(それによって逆説的にヌーメン的要素を逆算特定出来るかもな)

 

端的に言えば、煩悩によって駆動するマシンが人間であり、煩悩を克服する、とは内なる神を克服する、に等しく、宗教史とは内なる神の克服の歴史、だったのかもな。

つまりは、ヌーメン=自己=リビドを生み出すもの=分化され偏在する神の一部、ともなるのかもな。

 

禅じゃないけれども、人間は考えることを止めることが難しい。=ヌーメンによって駆動させられていることの証、なのかもな。

 


アプスー思想用語集

古代メソポタミア史・概略

– 古代メソポタミア史 –

メソポタミア一帯は2本の大河に挟まれた肥沃な土地で、古代よりシュメール人を始め様々な人種が移住してきた。

戦乱と離合集散は規模を拡大しながら繰返され結果様々な文明、文化、技術大系を生み出した。

最終的にオリエント一帯に世界帝国と呼ばれる迄に拡大しアレクサンドロス3世によってヘレニズム世界の一部となった。

 

 

・シュメール人
メソポタミア文明の基礎を築いた人々で先行文化のウバイド文化をつくった人々とは別と言われる。

自身を「ウンサンギガ」(「混ざり合わされた者」の意)と呼びその地を「キエンギ」(「君主達の地」の意)と呼んでいた。

「シュメール」とはセム族アッカド人により用いられた異称で風貌は人物像を見る限りセム族と変わりないがシュメール語はどの言語系統にも属さず出自は不明。

セム語族アッカド語に押され死語となったが、宗教語・学者語としてはラテン語の様な位置づけで古代メソポタミアで長く受け継がれた。

 

・アッカド帝国(シュメール王朝)
BC2350〜BC2113頃アッカドとシュメールを統一した最古の帝国。
首都はアガデで所在は不明。ペルシャ湾から地中海に至る覇権を確立したとされる。

当時特殊だった常備軍によって軍事的優位性を確保、ナラム・シン王の時代に王の神格化が始まるが、のちにアムル人、エラム人、グティ人の侵入で無政府状態へ。

誰が王で、誰が王でなかったか…

後世アッカド末期の混乱をナラム・シンと関連づけ建国者サルゴンと破壊者ナラム・シンという対比がなされる。

 

・アッシリア史概略
古代オリエント世界でも例外的な一貫性をもって中央集権的国家体制を維持し続けた。

BC2000年代の都市国家アッシュルから始まり勢力の拡大と縮小を繰り返しBC900年代新アッシリア時代にオリエント全域に渡る大帝国を打ち立て衰退し滅亡。

その1000年以上に及ぶ歴史に終止符を打った。

 

・バビロニア史概略
BC2300年代アッカド時代には既に存在しておりBC2000年代にはアムル系国家群の中から台頭。

メソポタミアの象徴的中心都市として登場し始め、以後シュメール・アッカドの地をギリシア語で「バビロンの地」バビロニアと呼ぶようになった。

バビロンには様々な民族の王朝が打ち立てられ一貫して文化の中心地であり続けたが、アレクサンドロス3世の後継者以降徐々に凋落し、AD100年代廃墟に。

 

 

– 古代オリエント統一の系譜 –

集権的階層組織構造の発明によって物資の集積と拡張性ある組織編成が可能に。
文明が発生した有史以来の人類史とは階層組織構造への順応の歴史とも言えるのかもしれない。

・ルガルザゲシ
BC2400年代シュメールの都市国家ウンマを率いてシュメールを統一、ウルク第3王朝が成立。

・サルゴン
BC2350頃都市国家アガデを率いてアッカドとシュメール、後のバビロニアを統一しアッカド帝国が成立。

・シャムシ・アダド1世
BC1813頃都市国家アッシュルを率いて北部メソポタミア、後のアッシリアを統一し古アッシリアが成立。

・ハンムラビ
BC1792頃バビロン第1王朝を率いてアッシリア、アッカド、シュメールを統一。

・ティグラト・ピレセル3世
BC744頃新アッシリアを率いてエジプト、レヴァント、アッシリア、アッカド、シュメールを統一。

・キュロス2世
BC550頃都市国家アンシャンを率いてエラム、アナトリア、エジプト、レヴァント、アッシリア、アッカド、シュメールを統一しアケメネス朝ペルシアが成立。

・アレクサンドロス3世
BC330頃マケドニア王国を率いてギリシア、西インド、エラム、アナトリア、エジプト、レヴァント、アッシリア、アッカド、シュメールを統一しマケドニア帝国が成立。





人が歴史から学べる事は「人は歴史からは何も学ば無い」という事だけなんだろうか?

その後の流れは「メソポタミア文明の結論としてのキリスト教から心理学の発生に至るまで」にて記述しています。

「影」との対決

「影」とは心理学用語で、自我によて抑圧された自身の心的部分である。意識化(自覚)されていないので無意識に属している。

何が抑圧されているか?何故抑圧されているか?は個人によって異なり、その個人が「否」と断じたその個人自身の総体でもある。

例として挙げるなら、社会通念上の道徳的行為に反すること(他者に危害を加える等)は一般的には抑圧されている。

しかしその抑圧はその時点での価値観によるものであり、その個人の心的な成長によって価値観が広がり心的容量が増すことによって、つまり自分自身を受け入れることによって、「影」は意識化(自覚)され、自らの新たな可能性へと通じる事ともなる。

例として挙げるなら、優しい人間がその性格によって抑圧していた部分を受け入れ厳しさを得てより全人的な存在に近づく、その逆に厳しい人間が優しさを得る、等。

平たく言えば「影」とは自分自身の内に潜在化した悪も含めた全可能性なのだ。

 

人類史とは言い換えれば自らの野蛮な獣性を「悪」と定義し、法や自由、正義、博愛といった形而上的人間観によって抑圧してきた歴史でもある。
そしてその経緯にはインクの代わりに血を用いるかの如き凄惨な歴史的背景が存在する。
我々が原始人の如き粗末な生活を送らずに済むのも、ひとえに文字文化による形而上的人間観の継続的更新のお陰なのだ。

しかし抑圧されたものとは解放を望むものでもある。
現代においても悪を為しても罰のない様な状況下では人は容易に悪を為し、全体主義や群集心理による狂気の沙汰は尽きる事が無い。
教育によって上書きされた形而上的人間観の下には、まさに正銘の野蛮人が潜んでいるのだ、誰の中にも。
後天的な教育以外の面では、人間のスペック自体は数十万年規模で変わっていないだろう。結局脳の構造自体に変化がないのだからスペック自体は変わらないわけだ。

故に万人が自らの「影」との対決を経て意識化し、統合、制御することを求められているが、「影」の統合とは魂の苦悩とすら呼べるほどの心理的、道徳的、感情的葛藤を自らの内に抱えることに他ならず、そんな事の出来る人間なぞほんの一握りしか居ないであろう事もまた、数十万年規模で変わらない事実なんだろう。

しかしこれを持って人間の本性とは獣である、というのも片手落ちと言うものだ。何故って人は善への志向も持ち合わせているから。
そうでなければ現代文明なぞ生まれ様も無かっただろう。
結局形而上的人間観とは、個人が集団の中でもつつがなく生活出来るように、という目的に対する最適解なのだ。

 

「自己実現」という言葉は現在では種々様々な意味で使われているが、本来はこの潜在化した可能性「影」を自我に統合し全人的存在へ至る行為を指す。

「自己」とは心理学用語で、意識と無意識を包括した心全体、且つその中心点という矛盾した高次元の概念であり、自我意識とその影である個人的無意識との統合とは、この「自己」をこの次元に「実現」する、という行為に他ならない。故にこれを「自己実現」と呼ぶ。
そしてこれが心理学によって客観的に定義された人間の生きる目的でもある。

しかしこの次元では「熱くて冷たいもの」や「大きくて小さいもの」と同じく「全体にして中心(点)」といった矛盾を包括した概念も存在することは出来ない。
故にそのような存在を目指す過程が、自己実現の過程自体が、生の目的となる。
つまりは人の心から「影」を無くす事は不可能であり、しかしそれは同時に常に未知の可能性を抱き続けることをも意味する。

人間の心には常に未知なる部分が存在し続けるという事。
これは尽きない可能性の源泉ともなるが、自然現象なので人間社会における道徳的観念などの形而上的人間観は考慮されていない。
故にその発露の際には個人の自我意識による整流が必要となる。

 

ちなみに心全体の中心は自我では無い。
我々は自分の感情をスイッチを入れたり切ったりする様にコントロール出来ず、思考もまた然り。
これはつまりは我々が「自分」と呼んでいる「自我」は、心全体の管理者権限を有していないことを意味する。

自我が心全体の主人であるのならば、我々は感情も思考も自由にコントロールしているはずだが、残念ながらそんな事の出来る人間はこの世に存在しない。
その事実から演繹された心全体の主人が「自己」という概念である。

言語について

言語とは、人間の内界にある内的観念を具象化し、制御、伝達を可能とさせる手段、ないし行為。
音素を記号化し、規則性と体系化による組み合わせによりコミュニケーションの手段としている。
そして人間は自らの意識内容を言語という鏡に反照させることによって客体化して間接的に認識する。

ボディランゲージの延長にある動物の鳴き声等とは相が異なり、法体系やプログラム等自然の延長を超えて自ら秩序構造を生み出す行為に繋がっている。
この文字情報によって継続的に更新される形而上的人間観こそが、人類を賢く振舞わせている。
人類史上において脳の構造に変化が無い以上、人間自体が賢くなっているわけでは無いのだ。

未開社会とは人類史の99%を占める社会形式でもあり、文明化以前の人間様式とは、我々の内に「影」として今も潜在化し続け、表出する機会をうかがっている。それは今でも群集心理や全体主義の前では道徳なぞ何の意味も無くなるという現実が証明している。

人間がその種としての始まり以前から数百万年以上も共に在った「無意識」を発見したのはつい最近、19世紀末の出来事である。
人間は自分自身について何も知らないも同然なのだ。

錬金術と宗教が自然科学と心理学へ至る歴史的経緯

錬金術師達が黄金造りや不死の霊薬といった世俗的な目的を超えて、救世主の再臨のような宗教的テーマを錬金術に与えていたのは、しかしその結果が個人的な作品としてしか結実しないという事実は、「聖霊による個人への神性の受肉」というキリスト教的テーマの継承と発展を意味する。

宗教的真理は諸真理を示すが、人間の生活は全て永遠の真理の高みで営まれているわけでは無く、それを補完する錬金術が個別的具体的な問題解決を模索し、結果文明の利器を生む自然科学の父となった。

かくして信仰の光は文明的精神の外、文明人の内に生きる正銘の未開人としての「影」心の闇を照らす光となり、心の医学としての心理学へと結実する。

 

C・G・ユングより一部抜粋・要約・補項

メソポタミア文明の結論としてのキリスト教から心理学の発生に至るまで

文明の発生:
食糧や火、水等自然の恩恵を甘受する狩猟採集から、自身で必要なものを生産する農耕牧畜への変化とそれに伴う文化の成熟。文化の成熟によって営まれるようになった創造的行為と行為が具象化された成果は相関進化し、結果文明が形成されたと思われる。

 

シュメール人の世界観:
シュメール神話における、天と地の間に生まれた風を司る主神エンリルと、大地と地下の海アプスーとの接点で出来た泥から生まれた人間の対比は、実現されるべき理想としての自己と、外界と内界(無意識)との接点から生まれた自我という関係の象徴と解釈できる。
アプスーとは無意識の象徴と言った所か。

 

メソポタミアの宗教観:
各都市国家に都市神がいて王権を奪い合う構図から、アッカド、アッシリア、バビロニアなどの広域帝国の出現による都市神や神話の習合の結果、一神教的宗教観と世界宗教の萌芽、王の神格化による神の受肉という哲学概念の形成へと繋がったと考えられる。

 

メソポタミア文明の結論としてのキリスト教:
メソポタミアで発生した文明と戦乱による離合集散は宗教、哲学体系を生み出し、ヘブライ人の手でユダヤ教へと纏められた。

後にナザレのイエスをきっかけに民族宗教から解放され世界宗教としてのキリスト教が発生したと思われる。

ヘブライ人のメソポタミア史に置ける被征服民という立場が、都市国家間における敵を必要とする戦いの神から法による客観的な支配と言う概念を生み、さらに愛と寛容による統治という世界宗教の特色を育む萌芽となったと思われる。

 

心理学の発生:
恐るべきユダヤ教の神を「愛」と定義して無害化する試みがキリスト教神話。
その結果人間にとって都合の良い部分はキリストとなったが都合の悪い部分も抑圧された潜在力として同等の力を与えられた。

この象徴の中には人間の意識と無意識の分化という有史以前から続く長い歴史が表されている。
そして19世紀末に至り人間の意識が無意識を客体として観測可能な迄に分化は進み、結果学問としての心理学が発生した。

その背景には、近代革命による「合理的」精神が宗教等に代表される「非合理」的なるものを抑圧した結果世界大戦に代表される惨劇が引き起こされた、と言う反省から来る、「非合理」的なるものの現代的(心理学的)受容、と言う歴史的必然が存在する。

今後は意識という現象(ソフトウェア)と脳という臓器(ハードウェア)を科学的に紐付けてゆくものと思われる。

 

物質的支配と思想的支配の違い:
オリエントの統一は優秀な個人の手で確立されその死と共に衰退、優秀な組織体の支えが有っても数十〜数百年で破綻した。
しかしその中から生まれたユダヤ・キリスト教世界の寿命は二千年を超えようとしている。
思想による統一とはそのリソースとなる情報が量という概念を持たない為に空間的にも時間的にも制約を受けないのかもしれない。

そして高次な情報とは物質的な豊かさの結晶でもある。

宗教と心理学が人類史に与える影響

宗教:
高等動物の意識と無意識の関係性の形而上的表現。

概要・意味情報を生み出すことの無い動物は自然環境があれば事足りるが、人間は意味情報を産出できる知的生物であり、その高いスペックゆえに自制心、つまり倫理道徳のような概念がなければ種として自滅することとなる。
その為精神性を培い倫理道徳を授ける上位存在が必要。

この「神」と形容される上位存在と人間との関係性を宗教的祭祀によって表現している。
宗教史とは人間の精神性獲得の過程とも言える。

理論構造・啓示や瞑想などによって得た意味情報を行いによって現実に具象化してゆく。
直観を思考によって具象化する「天才」と呼ばれる人のそれと同一の構造。

 

心理学:
人間の意識と無意識の関係性の形而下的理解。

概要・有史以前から続く人間の知的活動が19世紀末に結実し、人間は無意識という上位概念を客体として認識できる様になった。

その結果誕生した心理学による形而上的表象の形而下的理解を通じて人間は、倫理道徳の様な形而上的人間観をそれら固有の属人性を越え、精神医学を発達させる事となる。

理論構造・形而上的概念などに投影された心的概念という心的活動のログから規則性を見出し、心の理論構造を再構築している。
仮説の域を出るには脳という臓器の物理的な機能解明が待たれる。

 

結論:
自らの持つ破壊的手段により種として自殺出来るようになったという歴史的転換点を経て人類は、自制という倫理道徳的問題に真剣に取り組まざるを得なくなる。