新しい概念や発想を獲得する存在。
心理学に於いては直観的タイプの持ち主に発現率が高いとされる人達。
未知の情報を未知の手段で獲得する未知の意図と仕組みの結果。
人間社会における所謂「優秀な人間」とは違う、ある種宿命を負った人間とでも言おうか。
しかしそれに形を与え、他者と共有する為には「思考という力」が必要とされる。
では、未知の概念を与える存在は、どうやって未知の概念を獲得するのだろうか?
新しい概念や発想を獲得する存在。
心理学に於いては直観的タイプの持ち主に発現率が高いとされる人達。
未知の情報を未知の手段で獲得する未知の意図と仕組みの結果。
人間社会における所謂「優秀な人間」とは違う、ある種宿命を負った人間とでも言おうか。
しかしそれに形を与え、他者と共有する為には「思考という力」が必要とされる。
では、未知の概念を与える存在は、どうやって未知の概念を獲得するのだろうか?
「概念獲得プロセス」=客体を認識して把握し、名前を付けて概念にする
↓
「概念演繹プロセス」=手持ちの概念を基に、更に概念を増やす
↓
「概念編集プロセス」=増やした概念を好きなルールで整頓し、概念を構造化する
↓
結果、概念構造体が出来る=「思想」が完成
その為には「知識蔵」と「思考形式」と「編集エディタ」が有ると便利
=「EIIS構想」と「基本的思考ツール」と「メタ編集エディタ」
人類全員を思想家に出来る目処が立ったかな…
最近ブログで扱うタグというか概念が増えすぎて訳が解らなくなって来たのでTreeというアプリで概念構造図というか系統樹をつくって整理してみたら中々面白かった。このノード一つ一つに宇宙が広がっているという…概念構造体とでも言うか…
こうやって点と点を線で結んでその間を埋めてくのかなぁ、とかとか…
この空間的に展開された概念式を「アプスーロジック式」と名付けよう。最少構成単位は順列固有IDを持ったノードとそれらを繋ぐリンクとソートアルゴリズム。
思想構築ツールであり思想家を育てる為のツールであり思想家の為の基本的思考ツール…
そしてこれらによって組み上げられた思想を「アプスー思想」と呼ぼう。
心の興味関心の向かう二つの方向性と、意味を認識する為の四機能一組によって構成されている心の定義枠組み、それらによって規定される所謂「性格」と呼ばれるもの
=「タイプ論」
原理的には無意識と呼ばれる空間内で
上下軸を司る意識の指向性=「外向」と「内向」
と
情報を認識判断する為の四機能=縦軸を司る「思考」と「感情」、横軸を司る「感覚」と「直観」
という構成軸による三次元的な座標定位的定義によって形成されたと思われる。
要は空間認識と同様、概念認識にも空間的に展開された機能による認識が必要という事?
この構造の中心点且つ全体は「自己」と定義され、「個人の性格」とはこの空間内に位置する「自我の在り方の偏り」によって生じる。
以下心的機能別定義。
・外向 – 内向
リビド(心的能動性)が向けられる方向性。
それが外界の物質的な客体に向けられるか、内界の観念的な客体に向けられるかの違い。
・合理機能
判断機能軸の二極。客体に対する判断を行う。
・思考
客観的ロジックによる意味付けを行う。
・感情
主観的好嫌による価値付け、客体に対する受容可能性の判断を行う。
・非合理機能
知覚機能軸の二極。客体の存在を知覚する機能。
・感覚
現実的な客体の存在を知覚する機能。しかしその対象に対する判断は行わない。
・直観
目の前の現実を超えた予感や予知の類い。具象化行使するには思考機能等の補助が必要とされる。
上記の二つの方向性と四機能の内の一つづつを組み合わせたのが「典型的な個人格」となる。
例えば「外向的 – 思考タイプ」とか「内向的 – 感情タイプ」とかとか…計八種類。
要は空間認識と同様、概念認識にも空間的に展開された機能による認識が必要?という事か。
通常使用されるのはこの三次元的空間的に展開された定義の内の一部の機能だけで、構造のほぼ半分以上は劣等機能として無意識内に埋没している。
基本的には男性なら思考機能、女性なら感情機能などの限られた機能を優越機能として優先的に使用し、その他の機能は劣等機能として無意識下に埋没、場合によってはネガティブな形でその機能を表出させる。(男性なら感情的暴発、ヒステリーとか、女性なら破綻した思考、屁理屈みたいに)
そして所謂「心的な成長」とは、意識的に劣等的な心的機能を能動的に行使し機能させる事によって心の一面性に対する十全性を獲得してゆく事を指す。
これは所謂「自己実現」プロセスと同義であり、自己実現は心的理論構造上においては「意識と無意識との統合」と表現出来るが、タイプ論上では「性格の全構成要素の活性化」という形で表現出来る。
何故って「無意識の意識化による統合」と「無意識に埋没した心的機能の意識化による活性化」は同義だから。(余談ながら性格に典型的なタイプがあるならその接点では典型的な状況が発生してるだろうな…)
「意味情報獲得プロセスの心理学的過程」にて若干の補項がしてあります。
あらゆる人間的探求は「認識という行為自体への理解」へと帰結し、構造的に理解された認識行為によって改めて世界の分化が行われる。
認識力を上げるというのは根本的な問題解決手法。
「アルケーロジック式」=対象に名前を付けて概念化し、複数の概念から共通項を見出してその符号から式を組む事によって概念コントロールやクラスタリング等し易くする為の概念演繹ツール=「基本的思考ツール」
もしかしたら認識器の動作アルゴリズムがベースなのかもしれない…それを思考形式で再現したというか?
例えば
多神教に於ける神の分化過程=祭祀対象となる客体の認識と序列化の過程=人間の外界認識概念化過程
とか?(余談ながらヒンドゥー三柱神=自然法則という根本的抽象概念の神格化、故に最高神の扱い、なのかもな)
「概念自体をメタ的に編集する」と言う概念があり、その結果が
「アドナイロジック」=ミニマル・フラクタル構造
なんかもな…
インターフェースが必要だな…文章構造自体を直接編集出来るアウトライナーみたいなのが。
=「メタ編集エディタ」
現状のテキストエディタでは基本に一次元的で一方通行のフロー記述しか出来ず、これが現代テキストエディタの限界か?
ローカルなら面白いのがいつくかあるが汎用性が無いからウェブにアップロード出来ない
=二次元的三次元的情報の広がりを表現編集共有出来ない
線形的なテキストフローしか使えないHTMLの限界というか…3次元的な情報の広がりを表現でき汎用的に使えるインターフェースとフォーマットが必要かな?
アプリケーションの普及や検索エンジンインデックス化、地球規模、歴史規模のデータ量を人間でも扱える様にする為のインターフェース構築、など超超超問題多数だろうが…イメージで考える非言語的思考に近くなるかもな…
=意味情報認識編集インターフェース=感覚的に意味情報を「造形」出来る=非言語的思考用ツールに近くなる=言語によって具象化された意味をより構造的に扱う為のもの=概念構造体作成ツール=「思想構築ツール」(これがあれば誰でも思想が作れるな…マインドマップとかあるけれど。新教育理論に於ける最終テストにしても良いかもな…アプスー式の提出は)
画像はテキスト情報を拾えないし編集しづらいからな…Flashならなんとかなりそうだが外部テキストのメタ文章構造構築が出来無さそうだし、画像のAltタグも同様?それ以前に編集に手間がかかりすぎる。
=「メタ編集エディタ構想」=「メタ編集概念」
思考の流れを一次元的なテキストフローで表現し、それを更にメタ的に構造化する訳だ。
もしかしたら「アドナイロジック式」が再現できるかもな…最終目的というか。「神へ至る道」だな…
扱える次元数が違うかもしれんが…三次元的に展開された定義把握ですら人間の認識限界を超えてるかもな…
最終的には人類史上のあらゆる情報を時系列に沿って閲覧出来、編集共有出来る汎用的なヌースフィア情報アクセスコンソールみたいなものが必要になるだろう。
=ヌースフィア情報塊とそのインターフェース=「EIIS構想」
=概念インフラアップデート=アドナイロジックネオテニー促進=文明の発展の促進
そしてその情報を認識、理解、編集、演繹出来る知性を持った存在の育成
=新しい教育理論の確立=「新教育理論確立構想」
根本的にはどうやって「未知」を「集合的」な形で、人類により普遍的な形で認識出来る様にするか?
=類似の符号検索と演繹によって認識対応物を増やす事によって=概念認識アップデートによって=「概念演繹概念」
となるだろうな。
「新教育理論確立構想・骨子」へ続く。
最大限の意思の自由を成す為には、最大限の自我の意識化が必要となる。
結局自らの意思や行動に無自覚な人間は、自由な人間とは言えないのだ。
自らの意図を自覚する、とは、自らの解放につながる。
そして自らのコンプレックスを自覚しない限り、思考は先へは進めない。
言語とは、人間の内界にある内的観念を具象化し、制御、伝達を可能とさせる手段、ないし行為。
音素を記号化し、規則性と体系化による組み合わせによりコミュニケーションの手段としている。
そして人間は自らの意識内容を言語という鏡に反照させることによって客体化して間接的に認識する。
ボディランゲージの延長にある動物の鳴き声等とは相が異なり、法体系やプログラム等自然の延長を超えて自ら秩序構造を生み出す行為に繋がっている。
この文字情報によって継続的に更新される形而上的人間観こそが、人類を賢く振舞わせている。
人類史上において脳の構造に変化が無い以上、人間自体が賢くなっているわけでは無いのだ。
未開社会とは人類史の99%を占める社会形式でもあり、文明化以前の人間様式とは、我々の内に「影」として今も潜在化し続け、表出する機会をうかがっている。それは今でも群集心理や全体主義の前では道徳なぞ何の意味も無くなるという現実が証明している。
人間がその種としての始まり以前から数百万年以上も共に在った「無意識」を発見したのはつい最近、19世紀末の出来事である。
人間は自分自身について何も知らないも同然なのだ。
形無き意味は知性によって把握され、無形の理論構造は想像力によって認識され、元型的な力は空想力によって引き出される。
知性とは形無きものを認識するための手段であり、人間は想像力の及ぶ範囲でしか物事を認識できない。
そして、空想とは現実の雛形であり、無意識とは潜在化した現実であり、世界のイメージは世界の半分を成している。
故に人にとって形無きものを把握する知性と想像力は、とても重要なものであると言える。
人間の意識において無意識下に行われている意味情報獲得プロセス。
・認識外 – 無意識的
↓
・前認識 – 投影
↓
・認識 – 意識化
↓
・理解 – 知識化
無意識の意味内容が心的状態に応じて活性化し、「投影」という形で間接的に意識に流入する。
投影された意味内容を意識が認識し、取り込むことによって意識は新たな意味情報を獲得する。
意味は理解によって文字情報にフォーマッティング可能となり、公式化された意味情報は保持、交換、伝達可能な知識となる。
しかし文字情報が伝えられるのはあくまで知識であり、主観的な感情はいかなる形を持ってしても直接伝達不可能。
文字情報から感情を再現するには想像力が必要となる。
感情機能による主観的な好嫌という判断は、思考機能における客観的なロジックによる正誤という判断と対をなしている。
感情は価値付けを、思考は意味付けを、それぞれ司る。
成熟した思考はロゴスとして、観測する主体と客体を切り離し、区別、認識、判断を行う。
成熟した感情はエロスとして、分かち引き離そうとする一切を超え、調和を促す情動的関係性を構築する。
この思考と感情の等価的対立関係は、合理的判断という共通項の軸の両極に展開し、こうした二項対立的区別は意識の持つ本質的要素であり、認識の為の条件となっている。
つまりは空間座標の定位には何らかの定点が必要な様に、認識行為にも指標となる何らかの定点が必要である、という事となる。
この対立軸というものの本質は相補的関係であり、両義性の尊重は成熟した自我のなせる業でもある。
C・G・ユング「結合の神秘」より一部抜粋・要約・補項