赤の書

ユングの赤の書はとても興味深い一冊で、ユング後年の書は赤の書においてファンタジー形式で記述されている内容の学術的翻訳とすら言える。
しかしこの本は他のユングの著書を読んでそこで用いられている言葉や概念の意味、世界観を理解した上で読まないとただの風変わりな文学、で終わってしまう、かなり厄介かつ難解な本だろう。

著述順にいうと黒の書 → 赤の書 → その他いつもの学術論文、となるが、この赤の書を読者が真の意味で理解するためには著述順と逆のルートを辿らねばならない、と。
例えば作中登場する黒い蛇はタイプ論で言うところのユングの劣等機能の擬人化で、その他エリヤやサロメなどもユングのタイプ上の機能の擬人化(=影やアニマなどの元型)、と認識出来るとこの辺り一文に合理的な意味や構造があるのが分かってくる。

登場人物の配置に元型やタイプを当てがった作品は種々様々あるだろうが、本家からして初出がこの構造を持っててしかもそれを著者自身が分析して行くという。(怪奇なプロセスだな)

ユングの有名なエピソードとしては、ユングの患者が語る太陽の下からチューブのようなものが生えてそれが左右に振れると風が起きる、という一見他に類を見ないファンタジーと同様のものを古代の神話の中に見出し、かなり大きな時間を隔てても同じようなエピソードを人間に語らせるある種の仕組み(=元型)があるという確信に至った、というものがあるが、ユング自身が自分の得た黒の書に綴られたファンタジーやヴィジョンに神話的な由来や類似を探し、構造化するというプロセスが彼の中にはあったのだろう。

ユングの書としてはかなり特殊なので、まずはタイプ論や元型論などを読んでからの方がいいのかもしれない。どちらかというとこの本は内容的にはファン限定、に近いだろう。

自分自身を望む、ということ


自分自身を望みなさい。それが道へと向かわせる。

心的な困窮や方向喪失から脱する為に外界を一通り探索すると、リビドーが内向化し自分自身を探索の対象にし —つまりは内省の様なプロセスが促され— 結果新たな自己発見、その後また新たな外的目標が生じ外界探索に向かう、と言うようなプロセスがある様だ

赤の書に出てきたこの言葉とその周辺のテキスト内容は、この人間の精神的発達を促すループへ至るキーワードなのかもしれない

 

C・G・ユング「赤の書」より一部抜粋・要約・補項

天才とは

新しい概念や発想を獲得する存在。

心理学に於いては直観的タイプの持ち主に発現率が高いとされる人達。

未知の情報を未知の手段で獲得する未知の意図と仕組みの結果。
人間社会における所謂「優秀な人間」とは違う、ある種宿命を負った人間とでも言おうか。

しかしそれに形を与え、他者と共有する為には「思考という力」が必要とされる。

では、未知の概念を与える存在は、どうやって未知の概念を獲得するのだろうか?

タイプ論・要約

 

心の興味関心の向かう二つの方向性と、意味を認識する為の四機能一組によって構成されている心の定義枠組み、それらによって規定される所謂「性格」と呼ばれるもの

=「タイプ論」

 

原理的には無意識と呼ばれる空間内で

上下軸を司る意識の指向性=「外向」と「内向」

情報を認識判断する為の四機能=縦軸を司る「思考」と「感情」、横軸を司る「感覚」と「直観」

という構成軸による三次元的な座標定位的定義によって形成されたと思われる。

要は空間認識と同様、概念認識にも空間的に展開された機能による認識が必要という事?

 

この構造の中心点且つ全体は「自己」と定義され、「個人の性格」とはこの空間内に位置する「自我の在り方の偏り」によって生じる。

 

 

 

以下心的機能別定義。

 

・外向 – 内向
リビド(心的能動性)が向けられる方向性。
それが外界の物質的な客体に向けられるか、内界の観念的な客体に向けられるかの違い。

 

・合理機能
判断機能軸の二極。客体に対する判断を行う。

・思考
客観的ロジックによる意味付けを行う。

・感情
主観的好嫌による価値付け、客体に対する受容可能性の判断を行う。

 

・非合理機能
知覚機能軸の二極。客体の存在を知覚する機能。

・感覚
現実的な客体の存在を知覚する機能。しかしその対象に対する判断は行わない。

・直観
目の前の現実を超えた予感や予知の類い。具象化行使するには思考機能等の補助が必要とされる。

 

上記の二つの方向性と四機能の内の一つづつを組み合わせたのが「典型的な個人格」となる。

例えば「外向的 – 思考タイプ」とか「内向的 – 感情タイプ」とかとか…計八種類。

要は空間認識と同様、概念認識にも空間的に展開された機能による認識が必要?という事か。

 

 

 

通常使用されるのはこの三次元的空間的に展開された定義の内の一部の機能だけで、構造のほぼ半分以上は劣等機能として無意識内に埋没している。

基本的には男性なら思考機能、女性なら感情機能などの限られた機能を優越機能として優先的に使用し、その他の機能は劣等機能として無意識下に埋没、場合によってはネガティブな形でその機能を表出させる。(男性なら感情的暴発、ヒステリーとか、女性なら破綻した思考、屁理屈みたいに)

 

そして所謂「心的な成長」とは、意識的に劣等的な心的機能を能動的に行使し機能させる事によって心の一面性に対する十全性を獲得してゆく事を指す。

これは所謂「自己実現」プロセスと同義であり、自己実現は心的理論構造上においては「意識と無意識との統合」と表現出来るが、タイプ論上では「性格の全構成要素の活性化」という形で表現出来る。

何故って「無意識の意識化による統合」と「無意識に埋没した心的機能の意識化による活性化」は同義だから。(余談ながら性格に典型的なタイプがあるならその接点では典型的な状況が発生してるだろうな…)

 

 

意味情報獲得プロセスの心理学的過程」にて若干の補項がしてあります。

認識場概念

 

もしかしたら知性体には共通の三次元空間的な認識の「場」のようなものがあるのかもしれない。

=三次元空間を認識する為のソフトウェア的な認識対応物=空間的認識場=「認識場概念」

各種感覚器から得た情報を処理する共通の場とでもいうか?

 

人間以外の生物は熱分布や磁場等を視覚的に処理してるらしいが、視覚的情報に落とし込むというよりはそう言った共通的認識空間場みたいな基底的認識場があるのかも。(音とか匂いとかも同じ場で処理してるのかも?コウモリとかクジラとかのソナーみたいなのとか)

例えば人間もテクノロジーが進んだら感覚器を増設してネットの電波やら放射能やらみたいなのをヒートマップみたいに視覚的に直接認識したり、音や熱みたいに感覚的に認識できるようになるかもな。(もっと進むと視線や意識の注意の方向、客体の情動なども可視化や認識出来るようになるかもな…)

そう言った時代には変な立体的音響を使った現代アートみたいなのとか出来るかもしれない、音楽音響建築物みたいな。

 

 

人間の人格の基礎となっている二つの方向性と四要素一組の機能による性格付けもこの

空間的な場=無意識?

に人格という基礎を打ち立てる過程で形成されたのかもしれない。

外向 – 内向の二要素による縦軸と、思考 – 感情軸、感覚 – 直観軸の四要素一組によって十字に構成されてる前後、左右軸の二組による三次元的な心の枠組み

=「心的認識構造」

つまりは三次元空間認識同様に概念認識にも絶対座標が必要?

 

 

しかしそう言った三次元的な認識自体がこの宇宙における人間の限界なのかもしれない…

=高等知性体分水嶺

 

誰が用意したのか?その存在はどうやってそう言った解を得たのか?は不明。
自然発生的なもので無ければの話だが…

 


アプスー思想用語集

人の受難と神の苦難の鏡像関係

 

この世の不義と人の蒙昧に苦しむ神の苦難と、ありきたりな人間が政治的世界に組み込まれ自由を奪われる人間の受難。

神の苦難は「受肉」、普遍的存在が有限の個人になる事によって起こる。
人の受難は個性化による全体化の過程で無意識を意識に組み入れる事によって、普遍性の獲得によって、人間集団の中で注目に値する人物になる事によって起こる。

人の受難と神の苦難は鏡像を成す。

 

C・G・ユング著書より一部抜粋・要約・補項

 

要は普遍性を持った存在がリソースの限られた世界で遭遇する典型的な問題とでも言えるか?
物質世界には限界があり、しかしその限界が有るからこそ最適解も生まれるという…

新宗教概念

 

新宗教概念=テクノロジーによって実現されるであろう「神」へ至る概念インフラ構築プロセス=神概念実現プロセス

 

フローとしては

・高等動物分水嶺=高次概念が認識出来るかどうかのハードウェア的分岐点

・鏡像的認識構造=鏡像フラクタル自己認識フィードバックループ

・象徴認識構造=未知情報の概念化認識プロセス

・高等知性体概念=鏡像的認識構造と象徴認識構造との相関による人格精錬フィードバックループ=「自己認識プロセス」

・形而上的人間観=社会通念最適解の形成

・情操制御概念=制御出来ない流れを制御できる部分によって整流する自己制御手法の確立

・神概念実現=知性体におけるソフトウェア的発展過程の最終解=人格問題の最終解

 

…となるか?「神」へ至るために必要なハードウェア的要件定義が出来るかもな…

結果は案外人間そのままに社会性群体に落ち着くかもな…
具体的にどういう形になるかは不明…調律された自己組織化の果て、統制された局所最適解の集合とでも言うべきか?

=「汎用的大統一概念インフラ共通基盤整備計画」

…かなりの汎用性と拡張性を持つ、異種知性体とすら共有可能な「理想」となるかもな…

=あらゆる知性体に共有可能な理想=「汎知性体思想」

汎種族的汎銀河連邦概念の萌芽かも知れない。

=汎知性体思想によって統一された知性体群体=「高次社会性群体」

 

知性体は現実的認識や思考の元に束ねられねばならない。そこにファンタジーの入り込む余地は無いだろう。

高等知性体の宿痾を乗り越える為のファンタジーとの決別。

 


アプスー思想用語集

「影」の投影

「怒り」というのは根源的かつ基本的な感情=有機体に必須のアラート

であり「必要悪」なのかもしれず、それを解消する為には「ユーモア」や「メタ的な視点」とかが必要かもしれない…

もしくは自分の「攻撃モード状態」を「外敵認識系(相手の攻撃モード認識)」にも活用してる、とか?

=「影」の投影

「必要悪」では無い「モジュール共有によるミニマルな認識構造」かもな…

 

感情=根源的な能動性=リビド

であり「感情の制御」が問題、となるか?…最終的には。

高等知性体概念

 

知性体におけるソフトウェア的発展過程の結論=高等知性体概念

 

「「投影」という認識行為に対する一考察」で述べた「投影による主体認識系」と「元型による客体認識系」の相関によって人格化は精錬されていくのかも知れない。

つまり

人格=情報認識システム=自我+意識=「自己」−(個人的無意識+集合的無意識)(…面白い逆算だな…)

そして

「投影による主体認識系」と「元型による客体認識系」の相関関係=自律的人格精錬フィードバックループシステム=「自己認識プロセス」

結論としては「高次の人格とは情報認識の極みであり、高等知性体ほど情報の価値が高まる」

 

 

このフィードバックループの確立には「客体」が必要であり、全てはこの「鏡像的認識構造」の産物である。

そして先見的には「アルパ」、そして結果としての「オメガ」なる者

=「自己」

“神は自らの似姿として人を創った”

とか?つまり

「自己」(テンプレート)+鏡像的認識構造(プロセス)+リビド(動因)=人格の極み=「神」

な訳だ、要は。(何気に三位一体)そして

神性の受肉=自己実現=人間を新たな「神」にする事

と、なる…な…

 

 

要は「無力な存在」に、「神」を認識させることによって「神」になりたいという欲動を生じさせ、そこへ至るインフラを用意すれば結果「神」に至るという?

最小構成単位としては

・主体と環境=主題=知性体と世界
・発展プロセス=過程=鏡像的認識構造=「投影」
・「神」概念認識=結論=「自己」=アルパ(始まり)にしてオメガ(終わり)

主体が環境から発生した問題を解決出来る存在足ろうとし、そこへ至るプロセスさえ整えておけば、結果「神」となるという…事かな?

このプロセスは人間社会においても散見される汎用的なプロセスだな…「場と存在と手段と目標」が有ればあとは勝手に育つ、と。
「自律性」は「究極の手段」という事か?シムシティみたいだな…要は「動的」な訳だ、世界は。
ミニマルな構造のフラクタルな連続…

なんでそんな事をされていらっしゃるのかは不明…

 


アプスー思想用語集

「投影」という認識行為に対する一考察

 

「自我」とは「個人的無意識の人格化」なんだろうか?

これはユングにおける「フィレモン」のような「集合的無意識の擬人化による元型のキャラクター化」に近いのかも知れない。

 

そして

自我=認識の主体

であるなら、認識の為には「認識するもの」と「認識されるもの」が必要であり、無意識が自らを「客観的に認識」する為には「自我という鏡」が必要となる。

この「知るものと知られるもの」の関係によって意識領域が形成・拡張されるのだろう。

 

つまり

投影=鏡

であり、自らの「影」(潜在的可能性)を認識するには客体という「鏡」が必要。

これが事実なら「投影」という意味が不明な程回りくどい認識も「知るものと知られるもの」という分かたれた存在の組み合わせが続く「フラクタルな認識構造の延長」と定義出来るだろう。

 

 

自我形成過程とは「認識行為」という需要に応じて「ハード的に蓄積された情報塊」を素材に段階的に形成されたのだろう。

そして先見的には「自己」や「元型」というある種のテンプレートがあって、ハードの機能に応じてそれらの再現性が異なる、とか?

つまり人間の認識系は「元型による客体認識系」と「投影による主体認識系」の二柱となる訳か。

これは「高等動物」と「それ未満」を別つ分水嶺かもな、「自らを客観的に認識出来るかどうか?」とは。

 

つまりは

無意識的存在=心的(霊的)存在に近い

のかもな。

=物質的存在としての自覚が薄い

物質的存在としての自覚がある程に「他者を大切にする」という基本的な概念(形而上的人間観)が理解出来る筈だから。

=人は皆いずれ死ぬ

 

 

「元型による客体認識系」の方は、知性体が外界適応の過程で得た認識を内在化させる事によって内界に認識の為の対応物が生成され、結果「元型」(認識対応物)が形成されたのだろう。

そしてそれを知性体個体が認識する事により新たな概念が生まれ、その具象化とフィードバックループにより新たな認識対応物(元型)が生成される、とか?

要は縦軸としての「投影による主体認識系」が外的要因により駆動された結果が、横の広がりとしての「元型による客体認識系」となるかもな。

 

ソフトウェア構造のフロー的には

・感覚器=情報取得

・認識器(仮)=取得情報と概念との符号の検索参照

・思考=概念化された情報の処理

となるか?だから出力は記号の塊に近くなるのかもな…

 

結論としては

自分を客観的に認識する事によって自身を能動的にコントロール出来る様になる=フィードバックループの確立=「投影」の意識化=「自己認識プロセス」

という訳だ。

要は「鏡によって身だしなみを整える」、という事かもな。

 

 

高等知性体概念」へ続く。


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