悪意の果て

殺人を目的とし不快という手段を用いその最適化を続けていけばいずれ自身の不快さによって自滅する事となるだろう。

もしかしたら知性とは快よりも不快の方が耐性が低いのかもしれ無い。

これも悪意を動源とする仕組みはその極限に於いてはいずれ破綻する、という結末を導く為の一つの安全装置なのかもな。
これは知性体を用いた装置の一つの極限かも知れない。

 

これはある種の寓話何だろうか?

投稿者:

ノクタジュール

万年筆が好きな人。